忍者ブログ
いろんなことをいろんなふうに色々書いている。 コメント欄は解放されています。 ブログの内容に関してご利用になりたい方はどうぞ。
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
プロフィール
HN:
性別:
非公開
自己紹介:
北海道に住む雪狸。
ブログ内検索
アクセス解析
[96]  [95]  [94]  [93]  [92]  [91]  [90]  [89]  [88]  [87]  [86
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 FFTのエンディングについて考えてみた。
 長いので続きを読むに隠します。


 続き。


 実は私、以前はあのエンドでディリータが死んだと疑っていなかった。
 だがよく考えてみればそれでは後世獅子王として名を残す事は不可能であろう。
 名を残すほどの偉業を成し遂げるには時間が掛かる。
 平民から王に上り詰めたと言うだけで、平民達の希望となることはかのうだろうが、即位後すぐに死んでしまうのでは何も出来ない。

 だがあのシーンには画面暗転と同時にあのゲームにおける死亡時の特殊効果音が挿入されている。
 ついでに私はあの時ディリータはオヴェリアにさされて殴り返しただけだとずっと思っていた。

 よくある、拳を鳩尾に入れて意識を奪う、というあれだとおもっていた。

 ディリータはオヴェリアを殴りその意識を奪っただけで死んだのはディリータだとずっとおもっていたが、そうなると上記のとおりディリータに獅子王と呼ばれるだけの実績を作る時間はない。
 ならば。

 二人、ある居あhどちらか一人は必ず死んでいるだろう。
 ゲーム内に後世オヴィリアの記述は見当たらないがディリータが獅子王と名を残した事は記されている。
 ならば生き残ったのはディリータで死んだのはオヴィリアか。
 だが王家の血を引く伴侶を失ってディリータは王権を維持できたのか。

 ラーグ候とオルダーナ候。
 王位を巡る争いの最先端に立っていた二人の公爵が共に死し戦争において死亡した。
 それこそがまたディリータの付け込む隙になったのか。
 教会もその当時教皇がヴォルマルふ等ルカヴィの一行に殺害されている。
 教会の権力も恐らく揺らいだ事だろう。

 教会に権力を持つライオネルの主も死んでいる。
 教会の主も死んだ。
 ライオネルの主が行なっていた悪事の裏かたたる人間も殺害されている。
 名前を忘れた大望を抱いた武器商人も死亡した。

 王家からは陪臣であったが名のあるベオルブも滅び、雷神シドも反逆者の名の下表上は処刑されている。
 他にも多くの、ありとあらゆる上に立つ人間がこの戦争の中で死亡した。
 骸旅団もウィーグラフ、その妹と含め結局壊滅した。

 ある種厄介が片っ端から消えている。
 そして王に至るまでの過程で消している。
 オヴィリアが居なくなってもその後堅実な治世を敷けば王であり続けることは可能な状態だった、だろうか。

 少なくともイヴァリースの民の支持は厚いだろう。
 民の事なんて全く関係なく貴族の社会はありそうなイメージもあるが、下級貴族などのこの騒ぎに乗じて取り立てることで味方を増やす事もできるだろう。
 なんと言っても上級貴族のその天辺は居ないのだ。
 その地に名だたる城持ちはその多くが死んでいる。
 そこを取り立てることによって信義を得る。

 まあ、最良のエンディング、と言うのなら両者共に生き残った、と言う奴なのだろう。
 互いに誤解を重ねたまま、二度と誤解を解くことの出来ない彼岸と此岸に別れてしまった。

 ゲーム自体は好きで幾度もプレイを繰り返しているがエンドを見るのが嫌でクリアした回数は数回だ。
 延々と儲け話とディープダンジョンをしている。



 
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
忍者ブログ [PR]